2009/10/24(土曜日) 背振山分屯基地 一般開放 | |
それでは北の展望台へ登ってみましょう | |
北の展望台の横には脊振神社上宮の鳥居と祠 脊振山頂(標高 1055m)に鎮座しております フェンスの向こうのあの階段は自衛隊の敷地外なのでいつでも登れます レドーム下の小さな建物は西日本新聞のなんとか中継局 | |
おそらく福岡で最も高い土嚢陣地 |
左上の山は霞んで見えんねぇ、中央右は背振ダムかのう |
北の展望台から南の方を 左下に見えるのは役の行者像を祀ってあるホコラ すなわちこれ ↓ | |
詳しくは Wikipedia 参照 634年の生まれなら 11歳のとき大化改新が発生しており その後の人生に大きな影響を与えたかもしれない 18歳のとき難波長柄豊碕宮への遷都(孝徳天皇) 翌年、中大兄皇子と皇極天皇が倭飛鳥河辺行宮に移り 翌々年、孝徳天皇崩御と激しくきな臭い時代が続く 17歳の時に元興寺で学んでいたというならこの きな臭さをモロにくらっていたことだろう ところで元興寺は蘇我氏建立の寺だけど大化改新後は どうしてたんかね、奈良遷都後は飛鳥にも残ってるし 奈良にも建立してるし藤原氏とはうまくやってたということか |
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それでは南の方に移動しますか | |
青空だったらなぁ! | |
おそらく福岡で最も高いガソリンスタンド | |
あれ? ”アンバー1”どこ行ってたんだw | |
南のレドーム見てふたたび戻る | |
ときどき晴れ間も見えるんだけどねぇ 雲見てるのもそれなりに面白くはあったけど | |
もしかして ”スパッツ”なのだろうか | |
帰りのバスは ”アンバー3” でした | |
自衛隊のマイクロバスと違いそれなりのデカさのバスでこんな道をwww | |
プシュシュシュアーッ !! | |
登ってくる浜松ナンバー! 隊員の縁者かはたまたオタかもしくはただの通りすがりなのか | |
斜度がわかりますかね | |
国道に戻ってきました ダム建設に伴い道路の付け替え工事中です | |
ブラインドコーナーからいきなり ”アンバー2” がw |
これが ”アンバー3”、運転手さんお疲れさまでした! |