2009/12/06(日曜日) 鳥栖市 装飾古墳一般公開

庚申堂塚古墳(6世紀中頃) 田代太田古墳の北西 200m

墳丘への階段


こっちは反対側

岡寺古墳(6世紀前半) 田代太田古墳の東 130m
太田山安生寺(太田観世音寺)の敷地となってます


太田東方古墳 田代太田古墳の東 350m
遺跡ウォーカーによるとここらしいが資料が無いのでよくわからない

死にたてフレッシュ! キュアミート!!!!!!111


東田古墳(6世紀前〜中期) 田代太田古墳の北東 350m
遺跡ウォーカーによるとここらへん(マークしてある所は某家代々の墓場) 古墳は高速道路建設の際に消滅

ヤブの向こうは鳥栖インターチェンジの料金所


田代太田からちょっと離れて… 百度塚古墳(7世紀前半)
開墾してたら出てきました、石は重いので除去できず放置しました、みたいな感じ(^^;
このへんも城山古墳群牛原古墳群割石古墳群など古墳の多い地域


百度塚古墳から安良川に沿って山を登る、なぜならそこに古墳があるからだ!
基肄養父(きやぶ)八十八ヶ所の地図の”とりごえ荘・やまびこ山荘”のちょい下の
標高260mの等高線のところに古墳と書かれているからなのだッッッ!!!!11

ここが入り口っぽい

これ……ッスかねぇ
実はヒャーガンサン古墳にいた人にこの古墳について訊いてみたんだけど
「あんな山の上にねぇ?」みたいな怪訝な顔をされたw なんだろうこれ…
その人によると50年ほど前に河内ダムを造った際に大木川の谷筋からバカみたいに古墳が出たという
(おそらく東十郎古墳群のことであろう ・古墳数73) し、杓子ヶ峰古墳群十三塚古墳群門前古墳群
などわりと山の上でも発見されてたりするので、このあたりに古墳群があっても何の不思議もないかな


さきほどの基肄養父(きやぶ)八十八ヶ所の地図の古墳の記述のさらに下に”舟石権現”とあったので寄ってみた
説明文の書いてある立札が2mとしておよそ7m これはいったいナニ!?

巨石の下のスペースに鎮座ましますのが四番札所の大日如来さまです

目達原駐屯地の近所にも ”船石・亀石・鼻血石”っちゅうのがあるんで今度はそっちにも行ってきますわ(^^;


これが件の河内ダム
流れる川は大木川で田代太田古墳なんかはこの下流域にあたるです(現在の川筋からは500m離れてます)

ダムの近所の石  ただの石やら古墳の石材やら
古墳の石材は使い勝手がいいらしく庭石や墓石に転用されることも多いとか





探索の途中で撮った『あかつき』
通過するだけかと思ったら退避線の方に入ってしまった、これは撮りづらい!!!



普通列車に抜かれる



貨物列車に抜かれる



EF81 知らん間にこんな色になっとった



8分ほど停車したのち発車

ED76 69+スハネフ15 20+オロネ15 3006+オハネ15 4+オハネ15 3+スハネフ14 101

撮影場所は弥生が丘駅の南

明治22年製 赤レンガ3連アーチ橋 赤坂川橋梁のたもとでした





おまけ

剣塚古墳の紅葉

田代太田古墳裏のワム ワム60000とか70000とかワラ1とかそのへん…

謎の地図

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