勝田線跡襲撃作戦、其ノ壱 2005/01/27 | ||||
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志免駅と旅石貨物支線跡を訪れましたら、 もう勝田までの線路跡がどうなってるのか 気になって気になって仕方ありません…。 ということで志免から 6.5 km 南の終着駅・ 勝田までをふらふらっと訪ねてみました。 ← 時刻表によりますと、 志免 〜 下宇美 2.9 km 下宇美 〜 宇美 0.8 km 宇美 〜 筑前勝田 2.8 km 区間距離はこんな感じです。 |
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第1部、志免 〜 下宇美 | ||||
例によって、国土地理院の 空中写真閲覧サービスより CKU981X C7-17 (98/10) の 標準画像を切り取りました。 図中、点々で示したのが線路跡。 一部不明確な個所もありますが、 ほぼこんな感じだと思います。 前回、志免駅跡南端の遊歩道の 途切れてたこの地点から出発! ↓ |
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● A 地点 : 松ヶ丘団地 | ||||
(A-1) さっきの道を進んで行きますと… 鉄道にはありえないこんな登り勾配になってしまいました…。 こりゃあ…、一体全体どうなってるんだ… ( ← いきなり挫折 ) |
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● B 地点 : 志免東中学前 | ||||
(B-1) (B-2)→ ↓.................. |
いったん県道に出まして田富下深の交差点を左折。 道路が線路を跨いでいたわかりやすいポイントへ。 すると、中学校前にウネウネした遊歩道発見。 (B-1) その先にはちゃんと線路を跨ぐ道路が。 (B-2) 志免駅跡まで探索しながら戻りたかったんですが クルマを置いとく場所が無いので残念ながら先へ…。 |
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● C 地点 : 小さな道の踏切跡 | ||||
(C-1) B 地点のちょっと先でこのような道を横断。 踏切の痕跡は全く残ってません…。 クルマを置いとく場所もありません。 |
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● D 地点 : 光正寺古墳の先で | ||||
住宅地を過ぎると…踏切? (D-1) 最近造成されたような場所なので 踏切があったとは思えませんが…。 その先には普通の踏切跡も (D-2) やはり痕跡は全く残ってません。 |
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この場所で振り返ると、古墳がハッキリ見えます。 ガキの時分にそのことを知ってれば! (D-3) |
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● E 地点 : 高速道路のガード下 | ||||
(D-2) の奥にも写ってますが、ここで高速道の高架を くぐります。 (E-1) 右側にドラッグストア?のPあり。 で、くぐって振り返ったのが (E-2) 、下宇美側ですね。 こっち側はほんの少しだけ雰囲気が残ってます。 |
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● F 地点 : 下宇美駅跡 | ||||
(F-1) 高架をくぐると下宇美駅跡に出ます。 神功皇后が応神天皇を生んだという伝説を持つ宇美八幡の最寄駅でした。 神功皇后の妊娠期間が、古事記では 15ヶ月以上なのに対し日本書紀では 十月十日に改められたという伝説もあったりするけどな。 |
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● オマケ : 廃止直前の下宇美駅 | ||||
昔の駅の様子。 右:ホームの志免側から宇美側 左:逆に宇美側から志免側を撮影
懐かしいサボ → |
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